「雇われない働き方」webライター、投資家を目指す  経緯編1

雇われない働き方

うつ病がきっかけとなった

私は今から5ヶ月前は、過去1回も株投資をしたことがありませんでした。

ではなぜ、株式投資を考えるようになったか?ですが、私はうつ病になり、休職していました。

しかしもう、組織で働くことは、難しいと判断していました。

今回のブログではなぜ株式投資をするに至ったか?その過程を数回に分けて書いていきたいと思います。

根性や努力という点では負けない自信はありましたが、理不尽な異動や言動があり、私は我慢できる方だとは思いますが、心の中で何か切れたものを感じ、今回ばかりは納得できることでは遥かにありませんでしたので、抑うつの症状が進行しました。

また、職場まで約2時間。毎日駅まで送って行ってもらい、迎えにきてもらうことで、なんとか2時間以内に収めていました。

現場によっては、最初の現場は110キロ離れていました。通常の精神状態なら頑張れますが、精神的にダウンしている時にこれを約3年続けるということはできなくなっていました。

朝起きると、びっしょりの寝汗をかいており(4月)、何か体も普通ではない気がしてきました。

そして、本当に休職を決めた4日前から、体重が1日1キロずつ落ちていくのがわかりました。

休職を決めた最後の日は午前11時30分でした。店舗に来る応援者が変わったのでリストを修正して欲しいという普通の仕事でした。

そこで何か心と体がストップをかけてきた感覚に襲われました。

私は出来ませんと言いました。通常なら当たり前に出来ることでした。しかしもう限界を超えていました。

根性、努力、甘いなどという考えはそこにはありませんでした。そんなものどうでもいいという感じだったと思います。それどころではないというワードさえも出ない状態でした。

病院に行き、ドクターストップとなりました。

重度のうつ病を発症していたからです。

結果2年間症状が戻りませんでした。

過去にさまざまな理不尽性はありましたが、フラッシュバックするようでした。

ある上司から、「鬱になるまで追い込んでやる」と言われ、本人は覚えていないと思いますが、言われた方は一生忘れることのない一言です。

こう言われてからも、さらに6年は勤めました。

人の心はどうなるかは、自分以外はわかりません。

しかし、理不尽な人がどんどん出世していくのをみて、ここは自分の居場所ではないと思うようになりました。

人を評価していく上で、心の根本は会社本体にはわからないと思います。

普通にいい会社だとは思いますが、私にとってはもう社名を見るだけでも抵抗があるようになってしまいました。

世間では優良企業だと思いますし、福利もいいし、それは事実です。

ただ、それを単に甘い考えで終わらせるなら、続けることが可能だとは思います。

しかし、うつ病を発症して思うことは、うつというのは病気である、ということを認識するのに時間がかかりました。

うつ病=甘え、言い訳、誰でもある、世の中舐めてる、逃げ、働かざるもの食うべからず、といったイメージだと思います。

正直、私もそっち寄りだったかもしれません。

しかし、それを全て合っているとした上で、どうしようもない精神状態の自分がいました。

まず、半年間ぐらいは自分の部屋に行くことさえできませんでした。

理由は初めわかりませんでした。

根性がなくても、部屋ぐらいいけます。

行く気力さえなかったというのが一番しっくりくるのではないかと思います。

そして、自分の部屋にいくと、過去に制作した楽曲のあるスタジオ、ブログを書いていた執筆スペースを見ることになります。

そういったものを通じて、過去を思い出すことが一番のメンタルダウンになるということが、理由になっていました。

ここで徐々にうつ病は病気だということがわかってきました。

今回はここまでとなります。

次回は経緯2に続きます。

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。

 

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