こんにちは、まいゆきブログです。
今回は私がうつ病になった時の状況を書こうと思います。
異動辞令
2021年3月30日に、辞令が出て、入社以来流通業界の営業店で長く勤めていたのですが、本社の方に異動になりました。
本部に行ったからうつ病になったのではなく、正確にいえば営業店の最後の1年間でかなりメンタルは痛んでいたと思います。本社への異動が最後の引き金になったと考えています。
正直、営業店は慣れていましたので、少々メンタルが病んでもなんとか耐えていました。実を言うとかなり精神は疲弊していたと今となって思います。
精神的な疲労の一つとして、上司のさらに上の上司(ここではあえて具体的には書きません)に異動する前に事務所で公開罵倒されたことでした。
原因は私にあったという問題でしたが、詳しくは調査もしてくれず、一方的なものです。
本社に異動まえに、既に、心が折れてしまいました。さらにこの「上司のさらに上の上司」は本部でも一緒の部署でした。精神的に追い詰められていくのが日々分かりました。具体的な言葉はここには書きませんが、一言のショックな言葉があり、それが頭をずっと駆け巡りました。言った本人は恐らく何にも気にしていないと思います。
パワハラは絶対に良くないと人に指示していますが、実際はこのように、うつ病になる原因の一部を作ったと思います。この通り2年かけて回復はしていません。
人は私も含めていつ人を傷つけているかわからないのです。「上司のさらに上の上司」はそれにも関わらず1年後に昇進します。
下の部下は処分され、自分は上がる。その時は、さらに病みました。
うつの症状が出始める
本社の同僚はよくしてくれました。通常なら元気をもらって立ち直っていきます。
しかし、当時の私の心はそれさえも元気になることを許しませんでした。
食事にも誘ってくれるのですが半分以上残していたのを覚えています。
朝もサンドイッチを持って電車に乗り半分以上残していました。夜は安心するのか普通に食べることが出来る感じでした。
朝起きると寝汗を大量にかき、着ていたTシャツも搾れるぐらいの状況。これが4月5日からダウンすることになった5月16日まで続きました。
間違いなく体に異変があったとしか思えません。
5月に入り、電車に乗る前に、なにか吸い込まれていくような感覚がありました。あとから思えば命があってよかったと思いました。確実に自○願望でした。
5月15日は休みで、一日中布団中にいました。妻は精神科医に電話して今日なら診てくれる病院があると勧めて来ましたが、明日から土日なので迷惑がかかると思い、病院に行くことを横に首を振りました。
まだ慣れてないだけだ、みんな初めからうまくいかない。ここで休むのは甘えだと思っていたのが本当のところです。
この時点ではこの状況でも努力が足らないと思ったのですがこの考えもあと2日で終わることになります。
今回はここまでです。❷は早急に執筆いたします。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。

