YMOついて考える❶

YMO

YMOについて、もうたくさんの人が批評をしている。

しかし出尽くしたとしても、こうして書きたいと思えるアーティストなのだと思う。

長くファンでいるが、こうして書いていくことはなかったが、昨年お二人がお亡くなりになり、当然ながら非常にショックを受けた。

本当に尊敬しているアーティストが亡くなったのが初めてだったというのがある。

音楽以外ではスティーブジョブズが亡くなった時も衝撃でしたが、今どうしても書いておきたいと思う衝動に駆られたのでこれを書いている。

特に私が書かなくても様々な角度から情報はあるので、少し違った角度から書いてみたいと思います。

一言では表せるアーティストではないが、音楽というものが知性を持ち、カルチャーを作り、世界でも支持されて、テクノロジーとリンクした精度の高い作品を作るといった偉業を果たしたのがYMOだと思う。

全くバックグラウンドが違う3人が集結して作られた音楽は、世間が想像した音楽より、スケールが非常に大きかった。

YMOデビュー前は、はらいそ

サラヴァ

千のナイフ

それぞれ作った人が集結して全く違う音楽を生み出したというのは音楽の歴史にしっかり刻まれていると思う。

ソロではご本人達の個性が出ますが、YMOになると個々の個性が消え、顔の見えない全く違う音楽が現れる。

音楽は形のないものだが、ソロとスケール感が全く違い、大きな音楽になるのは不思議なことだがそれだけのアイデアが集結した訳だ。

各ソロは私小説な雰囲気が出ているように思う。YMOになると映画を作っているような、深い世界が現れる。

偶然だが、初めのアルバムにはゴダールの映画のタイトルがついている曲が数曲ある。

東風等はゴダールから付けられている。

しかし相当な自信がないとゴダールからのネーミングは難しいと思う。

単なるバンドではなく、ハイクオリティーな作品ができているから付けられる曲名だろう。

YMOのアルバムが出るというイメージとしては、最新のテクノロジーの新製品がでるといった感じで、作られた作品は精巧かつ緻密さがある。

コンピューターの進化とともに言われることが多いが、プレイヤーとしても一流が集まったというのが奇跡ではないかと思う。

バックミュージシャンのも含めて一流が揃ったバンドはなかなかない。

ライブの演奏を聞くだけでも相当の見応えがある。

クラッシック教育をベースにする教授、シャープでタイトなドラムの幸宏さん、ボトムを支えつつ、巧みにランディングできるベースを弾く細野さん。当然これだけ語れるような人ではない。凄すぎて逆にシンプルな表現になってしまう。

いくら打ち込みができても、アレンジ能力や演奏能力というものがしっかりあって、コンピュターに命令できる訳であり、生のタイミングを確認しながらシーケンスを数値化している背景もあり、そういった細部の調整もYMOが唯一無比なサウンドを残す要因になったと思う。

独特のグルーブ感は均整の取れたリズムで打ち込んでもチープになってしまう。再現するには、しっかり人力で弾ける能力とタイム感が必要なのだ。

ジャストのタイミングより少し前のドラム、ジャストより少し後ろのシンコペーションのベース、ジャストのキーボードといったグルーブ感はレコーディングされた作品からも見て取れる。コピーしてもその通りにならないのは、この組み合わせができないからであるとも言われている。

この組み合わせのグルーブは洗練されて、おしゃれな印象を受ける。センスだけでは難しい領域だと思う。

バックボーンは広く、教授はドビッシーを敬愛しつつもビートルズも聴くし、前衛音楽も周到している、幸宏さんが1番ポップ路線、細野さんはフォーク、ロック、エキゾチック、といった幅の広い理解がYMOを作っている。

その時は考えていなかったですが、作品群はビートルズのレコーディングに通じるものもあると思う。

ビートルズは4人のソングライティングに加え、ジョージマーティンが、かなり手を入れている。

スタジオシステムが全体の楽器というようなイメージで、丁寧な音作りがされていた。

共通項としてハーモニーがすごく綺麗にできている。そして荒っぽさがないというか、過激なことはトライはしているが、カチッと、しっかりまとまっている。

アビーロードスタジオと並んでスタジオAはもっと評価されていいのではないかと思う。

テクノポリスはポップですが、結構複雑なハーモニーを使っていると思います。

一見、ポップでキャッチーに聞こえますが、何か知性を感じる作りになっているのは音色センスとコード感が素晴らしいからではないか?

これは教授の音楽理論の解釈がすごいのだと思いますが、難しく聞こえないようにしているのはさすがのセンス。9thコードも巧みに使っている。

そういった完成された音楽は世界でも認められることになりますが、コンピューターを使っている先進的な音楽で、演奏能力も高い、アレンジも楽曲もいい、しかしこれだけなら他にいるかもしれない。

個人的な見解ですが、海外オーディエンスはYMOに新しいカルチャー現象をみたと思います。

特にアメリカはフルクサスやネオ ダダ などの芸術運動が起こるぐらい芸術に対してシビアにものをみると思いますが、YMOに新しい芸術をみたから受けたと思います。

普通に考えて、聞いたことのない前座のバンドがスタンディングオベーションになるわけはありません。

YMOのライブはある種テクノという、芸術運動を披露したのではないかと考えています。

このYMOを考えるシリーズは不定期ですが、続編も書いていきたいと思います。

少しマニアックな内容になり申し訳ありません。入門編は大量に発信されていますので、そちらをご参考にしてください。

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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